東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

写真:2019年クラブ選手権で優勝したTOKYO CITY(現SHIBUYA CITY)。

COLUMN

SHIBUYA、昇格までの歩みと近い未来 山内会長に聞く(上)

|後藤勝|コラム

写真:2019年クラブ選手権で優勝したTOKYO CITY(現SHIBUYA CITY)。

2024年度の関東社会人サッカー大会はSHIBUYA CITY FCが優勝、関東サッカーリーグ2部への昇格を果たした。晴れて東京都社会人サッカーリーグを卒業ということになる。SHIBUYAが成長していくうえで異なるフェーズに入ろうとするこの段階で、同クラブの山内一樹会長への取材を試みた。創業者でもある山内会長が語るSHIBUYAの過去、現在、未来とは──。

TOKYO CITYからSHIBUYA CITYへ

現在は元Jリーガーを獲得し、トレーニングを連日おこなうセミプロクラブとしての体制を整えているが、出発点はアマチュアクラブ。そもそもSHIBUYA CITY FCはどの段階で、本気で上のカテゴリーをめざす姿勢に拍車をかけたのか。

2014年創立時の名称はTOKYO CITY FC。マンチェスターシティ、ニューヨークシティがあるのに「なんで東京にシティがないんだろう? じゃあオレたちがつくろうよ」と、半分冗談、半分本気で考えた結果だった。「だから、設立の2014年当時に渋谷を名乗るという発想がなかったんですよね。ただ、活動をしてきた場所はずっと渋谷でした」

東京を代表し、マンチェスターやニューヨークに比肩するクラブになろうとする心意気やよし。しかし渋谷に根城を持ち、それをアイデンティティとする以上、渋谷を名乗るほうが自然ではある。運営会社である株式会社PLAYNEWを設立して法人化した2019年にも、クラブ名を東京から渋谷に変えようか? という議論はあったという。その時の判断は時期尚早。いまはまだ、「Jリーグをめざす」と勝手に名乗りを上げ、勝手に渋谷の街の名称を冠そうとしているに過ぎないのでは──と、若い自分たちに自分たち自身で釈然としないところがあり、却下した。

「その後、地域の活動を色々とやらせてもらって、地域の方と触れ合う機会が増えてくるなかで、逆に地域の方々から『なんで名前が東京なの、なんで渋谷じゃないの』というような声をいただくようになったので、そこで『じゃあもう変えよう』と。そんな順番でした」

当初の意気込みは「マンチェスター、ニューヨークに次ぐ世界3番目のシティになるぞ」。言葉からも鼻息の荒さを容易に想像出来るが、一方で夢の大きさゆえに、地に足をつけた目標として具体的に発展のステップを踏んでいけないような状態であったろうことも想像がつく。みんなで集まってサッカーをやろうと最初の一歩を踏み出すには、良い意味でのノリの軽さも必要。それがイキのよさにつながり、勝ち進む楽しみを味わうための勢いとなる。「半分本気ではあったけれど、みんながみんな本当に本気で思っていたかというと、多分そうではなかったんだろうなとも思います」という山内会長の言葉には真実味がある。

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