東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

Jリーグへの幻想(3/3)

|ソン チャノ(元FC KOREAマネージャー)

■企業クラブ、廃校や学校に可能性

 では、100年以上の歴史を持ち、すでにスタジアムやクラブハウスがあるイングランドをはじめとするヨーロッパの各都市と違って、スタジアムも無い、グラウンドも無いという日本で、どうすれば、そういうクラブ、環境を整えることができるのでしょう。

 時代に逆行していると言われるかも知れませんが、その一つの方法は「企業クラブ」です。

 元々、クラブとは閉鎖的なのものです。同じアイデンティティを持つ人たちや、地域や学校などの拠点を元に、何らかの共通要素を持ち合わせた人たちが集まって作られるのがクラブではないでしょうか。企業は、「そこで働く」という非常に結束しやすい要素を持ち、企業が福利厚生として所有しているグラウンドなどを地域住民に開放して、地域住民と共に歩んでいくのであれば、すぐにでも、素晴らしいスポーツクラブを立ち上げることができます。

 企業が持つグラウンドや練習場を改修し、クラブハウスや観客席を整備することは、日本各地で可能かも知れません。例えば、東芝府中事業所内にあるグラウンドを何度か訪れたことがありますが、もしその敷地内に小規模でもスタジアムやクラブハウスが有り、地域住民も自由に出入りできる環境があれば、理想のクラブとなることができます。アクセスも武蔵野線・北府中駅に直結しており、言うことはありません。

 スタジアムといってもJリーグのスタンダードに合わせる必要は一切有りません。前述のイングランドのクラブ同様、1,000人規模でも十分でしょう。何よりも、スタジアム内に、気軽に人が集える場所を整備することのほうが重要です。

 企業クラブは日本独特の素晴らしい制度だと思います。選手は社員として、引退後の生活も保障され、選手も安心して区切りをつけて第二の人生を歩めます。これほど優れた制度をみすみす見逃す手はありません。企業スポーツは景気に左右されると言われますが、それは「企業」なので当然のことです。なので、前述したとおり、立派なスタジアムなどは必要ありません。身の丈にあった投資で十分です。

 日本各地で、地域に根差した企業と住民が手を取り合い、地域住民が気軽に利用できるスポーツクラブを設立すれば、いまのJ2、J3のクラブよりも、もっともっと地域社会に貢献できるクラブが増えるでしょう。

 そういった意味では、Jリーグが企業クラブを排除しているのが疑問でなりません。J1はしょうがないとしても、J2、J3では企業クラブを容認すべきでしょう。Jリーグも企業名という「足枷」に捉われることなく、ブンデスリーガの「バイエル・レバークーゼン」のように企業名を容認するべきです。

 個人的に「名古屋グランパス」は「トヨタ名古屋」、「横浜F・マリノス」は「日産横浜」でも違和感はありません(あくまでも個人の感想です)。

 もう一つの可能性として、廃校となった学校です。これはすでに実績が有ります。水戸ホーリーホックのクラブハウス、練習場がある城里町七会町民センター「アツマーレ」です。

 しかし、写真で確認すると、残念ながら、観客席が有りません。何故、プロクラブの練習場なのに観客席がないのでしょう。「プロ」は見せる、見られることが前提ではないのでしょうか。1,000人規模でも屋根付きの観客席を作り、地域の人々がプロの練習や下部組織の公式戦などを気軽に観戦できるようにすべきです。

 話を戻すと、廃校になった学校だけとは限りません。現在、生徒が通っている学校でも、これから少子高齢化が進み、生徒数は目減りしていきます。それによって、空き教室も増加するでしょう。中学校、高校では部活動も有り、難しいと思われますが、小学校を拠点にすることは可能ではないでしょうか。

 空き教室をクラブハウス、カフェ、ジムなどに改修し、グラウンドも土から人工芝へ、そして簡易的な観客席も設置すれば、学校にとってもプラスになるはずです。子供たちに対するセキュリティが気になるのであれば、完全会員制にし、出入口にはICカードを設置するなどの対策を施せば、可能なはずです。

 何よりも、地域住民と子供たちが触れ合う場所、親以外の大人から様々な刺激や教育を受けることができます。これこそ、地域コミュニティの復活につながることだと思います。

 今、日本に必要なのは、「Jクラブ」ではありません。イングランドのように5~8部のクラブでも、「拠点」の近くに住む全ての人たちが気軽に楽しめ、利用できるスポーツクラブ、フットボールクラブこそが必要なのです。

 フットボールクラブに関わる人たちが、このことを理解せず、地道に種を蒔いて育てることから始めなければ、いつまで経ってもこの国に「スポーツ(フットボール)文化」が根付くことはなく、「幻想」を追い求めることになるでしょう。(了)

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