東京サッカー [TOKYO FOOTBALL]

COLUMN

シリーズ展望「東京社会人サッカーの未来」Vol.02

阿部正紀の引退と復活。再生の背景にエリースイレブンの真摯な想い(下)

|後藤勝(ライター)

エリース東京FC

エリースでの5カ月

 サッカーから離れた半年間ののち、阿部はグラウンドに戻ってきた。エリースを紹介してくれた恩人である下村氏の顔に泥を塗らないためにも「やらなきゃいけない」と、気持ちは引き締まった。「『エリースを関東に上げたい』という気持ちが強かったですね。平井さん(スポーツディレクター)も、その想いは強かった」

 エリース加入が発表されたとき、その写真に写っている阿部は、髪の色も髪型もこざっぱりとしていた。「そうとう痩せてしまっていましたね。あのときたぶん、現役のときより8kgから9kgくらい痩せていたので。筋肉自体、落ちていました」少しの間、運動を止めていても、復帰すればすぐ元の自分に戻るのではないか、という期待はあった。だがその願望に反し、自分の身体は思うように動かなかった。「あまりにも自分が下手になっていることに気づいてしまって。それが『嫌だな』(笑)って思いましたね、最初の頃」

 ボールフィーリングがよくない。そこからまたうまくなりたいという気持ちが、モチベーションを高めた。「自分がこんなに下手になっているというのが信じられなかった。『もうちょい、まだ出来んだろ(苦笑)』と。まだうまくなりたいなと、すごく思いましたね。その『ショックだった』というのがサッカーを再開して最初の心境です」

 エリースに加入を決めた時点で、コロナ禍により圧縮された2020シーズンの東京都リーグ1部全7試合中、あと5試合が残っていた。まだ関東リーグ昇格を諦めるタイミングではなかった。

「エリースがめざす関東1部昇格のためにまずは関東2部昇格を成し遂げよう、そのための力になりたいと、強く思っていました。ところがいざエリースでサッカーを再開すると、ケガに苦しんだんですよね。全然身体が追いつかない状態でけっこう激しいことをしていたり、平日の練習がない分を補うためにいろいろなところで朝練に参加したりしていたんですが、朝も早かったので足に負担がかかっていたと思うし、急に動かしたこともあってケガをしてしまいました。すると、岐阜にいたそれまではトレーナーがついていたところを、今度は自分でどうにかしないといけない。なので、知り合いの接骨院でケアをする、みたいなことをつづけていたんですけど、でも『もうこのくらい治ったからいけるだろう』と思ってまた練習をやったら再発、というのを繰り返した。これは難しいな、と思いましたね」

 岐阜にいた頃はケガらしいケガをしたことがなかった。自身の管理が重要だというのも、プロを退いてから気付かされたことだ。「あらためて身体のケアはめちゃくちゃ大事だなと思いました(苦笑)。だからそれ以降は丹念にストレッチもしています」

 入団発表前の第3節三菱UFJ戦に出場後負傷、肉離れが治りきっていない状態で第4節の南葛SC戦に無理して出場し、再発。第5節の東京プラス戦と第6節の東京海上戦を休み、ケガをしっかり治してようやく出場したのは、最終節のGIOCO戦だった。関東リーグ昇格をかけた関東社会人サッカー大会進出という目標は達成出来なかったが、全日程を終えたあとも練習をつづけ、蹴り納めまで充実した週末を過ごした。

「山あり谷あり? ほんとうにそうですね。大げさに聞こえるかもしれませんが、自分の人生を変えてくれたチームだなと思います。たぶん、エリースに入っていなかったら、またサッカーをやりたいという気持ちにもならなかった。『いやー、やっぱりサッカーは楽しいな』と思えたのは、エリースの選手たちに会えたからだとオレは思っています」


そしてマルヤスへ

 不思議なことに、失意に打ちひしがれたまま引退を決め、サッカーから完全に離れ、休んだことで心にサッカーを受け容れる余地が生じ、自然な欲求にしたがってサッカーに戻り、ケガを治しケアをすることの大切さを憶えて年末を迎えると、心身ともにコンディションは向上していた。昨シーズンはJ1から数えて7部に当たる東京都リーグ1部にいた阿部は2021年、4部に当たるJFLに挑戦する。一気にカテゴリーを3つ上げることになるが、その差に不安はない。

「また上に行きたいなと思ったのが11月から12月にかけてでした。エリースのメンバーとやっていて刺激を受け、まだ上でやりたいなと思っちゃって。そこからどんどんやりたいやりたい、と前向きなほうに気持ちが向いていきました。またJに戻りたい、もう一度Jの舞台に立ちたい、と。それこそ戻れるなら、岐阜に戻りたいと思ったりもしました。J3に降格してサポーターに対して申し訳ないという気持ちもあるわけですし」

 年末の段階ではJ3でやれるという見込みはなかった。そこでJFLのマルヤスに申し込み、一週間練習に参加すると、合格を勝ち取ることが出来た。ディフェンダーとして見せ場をつくりやすいゲーム形式のメニューもあったという。「最終日にはジュビロ磐田との練習試合もありました。そこで『やれなくもないな』というパフォーマンスを発揮出来て『まだやれるんだ』と、前向きになれました」

 ここで「まさか自分でもこうなるとは思ってもみなかった」という冒頭の言葉に戻る。「ほんとうにエリースには感謝しかないです。それこそ半年、社会人として暮らして、またサッカーをやろうと思ったときには、Jリーグ復帰をめざすところまでは考えていなかったので『いやわかんないもんだな』と思いました(笑)。エリースでの日々は自分にとってプラスですね。こういうところを知れてよかった。どれだけプロが恵まれているかもよくわかりましたし」

 JFLのクラブがJリーグに加盟をするための条件は厳しい。チームごとJ3に上がることが出来ればいいが、その保証はない。クラブのためにも自身のためにも、まずは上位への進出を狙っている。「マルヤスがJFLの上位にいることによって注目させないといけない。昨年には最下位だったマルヤスが上のほうにいるということが起これば、個人としても今後への望み、チャンスはあると思っています」

 JFL(第23回日本フットボールリーグ)は3月14日に開幕する。そのピッチを阿部が踏むとすれば、それは間違いなく、エリースというクラブが東京都社会人リーグにあったからなのだ。惜しいことではあるが、エリースはひとりの才能を、自信を持って上のカテゴリーへと送り出した。挫折を経験したプロ選手を蘇らせるほどの“場”を持ち得ていること。社会人サッカーはその事実を誇りに、前へと進んでいけばいい。その歩みが未来を照らすはずだ。そして“卒業”してゆく阿部正紀の未来がよりいっそう光り輝くことを祈りたい。

【了】

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