PROFILE
今矢直城 1980年、兵庫県出身。現役時代はオーストラリアやスイスなどでプロ選手として活躍。引退後は指導者として早稲田ユナイテッド監督や東京国体選抜コーチを歴任。2017年にはW杯アジア最終予選でオーストラリア代表チームのスカウティング部門として日本代表の分析を担当。2018年には横浜F・マリノスでオーストラリア国籍のアンジェ・ポステコグルー監督やピーター・クラモフスキーコーチらを通訳として支え、2019年にはアジアサッカー連盟(AFC)で互換性のあるA級ライセンスをオーストラリアで受講して取得。2020年には清水エスパルスの監督に就任したクラモフスキー氏からオファーを受けてコーチを務め、2021年からはJFA公認S級コーチライセンス受講。同年11月に関東1部の栃木シティFCの監督就任が決まった。
CONTENTS 01
難関突破しS級講習会を受講
「自分のプレーモデルに確信が持てた」
──今回、わずか16名という狭き門をくぐり抜けて2021年度のS級ライセンス講習会の受講者となった。ご自身ではどんな点が評価されて受講者トライアルを通過したと思うか。
「その点における評価自体は聞いていないので何とも言えないが。初めに書類選考があって、次にZoomでの面談、分析テスト、実践指導がある。おそらくそれらの総合点での判断だと思う。自分としてはより監督らしい発言、監督らしい指導、選手たちが伸び伸びとプレーできるように意識した。いつも通りの指導と言えばいつも通り。でも、自分にとってはやはり以前にオーストラリア代表や横浜F・マリノスで一緒に仕事をさせてもらったアンジェ・ポステコグルー監督とピーター・クラモフスキーコーチとの経験、あの時に学んだことがすべてかなと思う」
──S級トライアルを通過するために事前に準備したことは。
「以前のS級受講生が書かれているレポートがWEB上に公開されているので、それをすべて読み返した。昨年の受講生たちがどんな内容を学んで講義の中では何を求められているか、インストラクターの方々は何を伝えているか、そういったことを読み返した。その中で自分は2020年の藤田俊哉さんの講義が印象に残っていて、『ヨーロッパで活躍する日本人選手は増えてきたものの、ヨーロッパで活躍する日本人指導者はまだ少ない』ということ。そこは自分の考えと一致していたので、面接で『どういった指導者になりたいか』という質問に対して『日本で指導者として成功したい。でも、もっと先にあるのは日本人としていつかヨーロッパの舞台で戦えるような指導者になること』と伝えた。
あとは有利か不利か、どちらに働いたかわからないが、今回の受講者16人の中で唯一自分はJFAのA級ライセンスを持っていない(※AFC・アジアサッカー連盟 A級ライセンスを保持)。そこがプラスと見られたのかどうか。正直、そこもどちらに働いたかはわからないが、今回S級講習会をすべて終えて、先日の最終面談の時にはインストラクターの方々に感謝を伝えた。『自分は日本のA級講習会を受けていないのにも関わらず、快く受け入れてもらったことにはすごく感謝している』と」
──実際、講習会を受講してみての新たな学びは。
「新たな学びはたくさんあった。でも一番はとにかく楽しかった。毎回、毎回新しい知識、アイデアをもらえたし、それに自分のサッカーにおけるプレーモデルに確信が持てたこと。このサッカーを自分はやりたいんだなというのが、今回の講習会を通して確信に変わったし、より自信がついた。インストラクターの方からも『ずっと一貫していたし、たぶんこれが今矢くんのやりたいサッカーだろうね』と言ってもらえた。もちろんより良くしていこうということで、たくさんの指摘も受けたが、そのアドバイス自体もものすごく的確なので非常にためになった」
──印象に残っている講義は。
「実際にJリーグの監督をされている方のマネージメント論だったり、監督としての心構えといった話。そういった現場の生の声というのはすごく勉強になった。もちろんインストラクターをされていた方々もJリーグの監督経験者なので、そういった方々の経験談、『どれだけ結果が出なくてもファイティングポーズを取らなくてはいけない』、『選手が20人いたら40の目があるわけで常に見られている。決断の連続。監督をやるということはそんな甘いことじゃないよ』。そういった経験談というのは非常に勉強になった」
──現在はどこまでセッションを終えたのか。
「一通りのセッションは終えて、先日最終面談も受けて合格をもらった。あとは海外研修だけ。そのレポートを提出してJFAに承認されて発行となる。コロナの影響で隔離等もあるが、近いうちオーストラリアに行って終えようと思っている」
──最終面談での評価は。
「すごく評価してもらえた。言われたのは『指導セッションにおいて選手が生き生きとプレーしていたし、テンポもよくて、インテンシティが高くて、年間通して今矢くんがやりたいことは明確だった。それにディスカッションにおいてのコメントやプレゼンテーションも良かったし、リーダー的な役割を果たせてもらえたことも助かった』と。聞いていて少し恥ずかしくなるくらい評価して頂けた」
CONTENTS 02
2020年はJ1・清水でコーチを経験
「本当に有意義な時間だった」
─1年前の2020年シーズンではJ1・清水エスパルスのピーター・クラモフスキー監督に誘われコーチに就任した。初めてのJクラブの指導経験はどんなものだったか。
「まず監督がものすごく優秀だったということ。そして、その監督が自分に多くのことを任せてくれた。実際の練習メニューの作成からピッチまでの実行、他のチームだったら『それは監督がやるんじゃないの』というところまで任せてもらえた。おそらく、そこはピーターさんの器の大きさというか、横浜F・マリノスの監督だったポステコグルーさんもそうで、彼らは自分だけでなくコーチを育てるという気持ちがある。自分の右腕がいるなら出来ることはコーチに任せて、監督自身は全体像を見ることに徹していた。そこは自分にとってすごくありがたかったし、メリットだった。Jリーグクラブのコーチ自体は初めての経験だったが、それまで横浜F・マリノスでも通訳として常に彼らの隣にいたし、基本的にはポステコグルーさんもピーターさんもスタイルは一緒。何を求められているかはいちいち確認しなくてよかった。そういった意味ではスムーズにノンストレスでこなせた」
─ただ、最終的には就任から10ヶ月ほどで監督と共に成績不振で解任となった。
「かばう訳ではないが監督は本当に優秀だったと思う。選手たちのパフォーマンス自体は明らかに良くなっていたし、それが結果に追い付かなかった。僕が思うにはクラブとしても必死に監督を守ろうとしてくれたし、あのサッカーを成立させたかったと思う。ただ、そんなに甘い世界ではないので仕方がない。僕自身ももっとやれることがあっただろうし、今後はあの経験があったから自分も指導者として成長できたと言えるようにやっていかなくてはいけない。あの10ヶ月は選手の成長も見れて、自分も成長できたし、本当に有意義な時間だった」
─清水のコーチを解任となった後、一旦はフリーの身となった。次のステージが決まるまでに時間を費やしたことは。
「自分のやろうとするプレーモデル自体はポステコグルーさんやピーターさんと一緒にやってきた中でかなり固まっていた。今後はそれをどうやって選手に効率よく、より早く落とし込んでいくかを探った。リーダーシップ論、マネジメント論の書籍を読んだり、海外の方のインタビューを聞いたり、直接サッカーとは関わりのないことも含めて勉強した。ビジネスの世界においてもサッカーの世界においても色々なリーダーがいて、様々な落とし込み方がある。そういった勉強に多くの時間を割いた」
─今回、栃木シティからのオファーはどういった流れで届いたのか。
「3年くらい前に一度、友人を含めて栃木シティの社長と会う機会があり、その時にふとした会話の中から『ちなみに今矢さんはどういったサッカーをするの』という質問をされて、パソコンを使ってプレゼンをした。それがかなり印象に残っていたようで、今回話を頂いた」
─栃木シティ以外からもオファーはいくつかあったと思うが、最後に決断するポイントとしてご自身が大切にしていることは。
「ひとつは自分自身が成長できるかどうか。Jリーグクラブのコーチ、ヘッドコーチを仮に2、3年やって、その後にどんな自分が待っているか。一方で、カテゴリーは下になるが、監督として自分で練習メニューを決めて実行して、コーチや選手、マネージャー、社長、スポンサーとも話をして、毎日色々な決断を下していく。それを2、3年やったあとにどんな自分が待っているのか。その2つを比べた時に自分の中ではもう監督だった。
じゃあ、次に監督としてどのクラブを選ぶのか。正直、上のカテゴリーから監督としてのオファーもあった。でも決定的だったのは、実際にクラブに足を運んで施設も見て、何度か社長と話をしていく中で、社長自身がこのクラブのビジョンにフルコミットしていることを感じた。80、90%とかではなくて100%フルコミットしている。そこに僕は一番惹かれた。もちろん僕に対してもフルコミットしてくれているのを感じたし、クラブが掲げるプロジェクトも面白いと思った。このクラブだったら自分自身が成長できる、そして朝起きて仕事に行く自分の姿を想像したとき、きっと毎日ワクワクするだろうなと思った」