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「可能性はゼロじゃないと証明出来た」
社会人からJ1クラブへ、長倉幹樹サクセスの原点

後藤 勝 = 文 葛城 敦史 = 写真

社会人サッカーからの出発

かつて関東サッカーリーグ1部の東京ユナイテッドFCに所属した長倉幹樹が、J1のFC東京で大ブレイクを果たしている。シーズン途中の6月に浦和レッズから期限付き移籍で加入すると、7月16日時点でリーグ戦4試合2得点、天皇杯2試合2得点と結果を残し、6月25日におこなわれたJ1第15節横浜F・マリノス戦の5人抜きで決めたゴールは6月度の『2025明治安田J1リーグ 月間ベストゴール』に選ばれた。前線から中盤に下がってボールを迎えに行く戦術的な動きでチームを活性化させる働きを含め、もはや東京になくてはならない存在になっている。はたして、長倉はいかにしてこの境地にたどり着いたのか──。

遡れば浦和のアカデミー出身。しかし順天堂大学を経てプロキャリアの路を歩むかと思いきや、成年カテゴリーの出発点は前述した通り、社会人サッカーだった。Jクラブに進まず、また当時東京ユナイテッド(以下、ユナイテッド)と提携関係にあったJFL・東京武蔵野ユナイテッドFC(現・横河武蔵野FC)に行くわけでもなく、関東1部のチームに加入した背景には、どのような事情があったのか。長倉のプロとしての出発点を探る問いは、まずそこから始まった。

「複数のJクラブで練習に参加したのですが、それらのクラブには入れず、ずっと所属先を探していました。どこも見つからず、最終的にユナイテッドに入れた、という感じです」

プロへの“就職活動”がうまくいかなかった理由のひとつは、順天堂大学で多くの出場機会を得られなかったこと。プレー時間が少なく、そもそもJクラブのスカウトが食指を伸ばすような対象ではなかった。もうひとつは、アピールが上手ではない性格。Jクラブへの短期間の練習参加といったような、イレギュラーな環境で自身の良さを示していくことが得意ではないのだという。

インタビュー:長倉幹樹。

実際のところ、JFL・武蔵野の関係者の間では、長倉よりも同じ順天堂大学の新関成弥のほうが高い評価を得ていた。

「やっぱり試合で見せてスカウトの眼に留まる、それが一番自分には合っているのかなと思いました。自分は練習参加で評価を得るような、そっちのタイプじゃないな、と」

だからこそ日頃の公式戦出場でコンスタントに良いプレーをして結果を残し、それをアピールのための材料にしていきたいところだったが、大学サッカーで出場機会を得られず、それもかなわない。プロ予備軍の大勢に埋もれ、八方塞がりの状況で拾ってもらった恩あるクラブがユナイテッドなのだ。期待のあらわれか、背番号は9番だった。

上を目指す仲間と結果を残した半年間

東京ユナイテッドでの長倉幹樹。

こうして長倉の2022シーズンは地域リーグで始まった。J1から数えて5番目に位置するカテゴリー。その関東1部前期第1節ブリオベッカ浦安戦で開幕スタメンに名を連ねた長倉はいきなり2得点を挙げる活躍で勝利に貢献、ド派手なデビューを飾った。今年のFC東京でも、長倉は加入後初戦の天皇杯2回戦ツエーゲン金沢戦で1得点。初っ端から結果を残すストライカーぶりは、今も昔も変わらないということなのかもしれない。「試合で見せる」という言葉が頷ける勝負強さだ。

その後、前期終了までの全9試合に出場した。結果的にユナイテッドで最後の試合となった前期最終節栃木シティ戦でも一時同点となるゴール(1-1。最終的には1-4で大敗)を決めている辺りに、不屈の魂がにじんでいた。

「チームでは切り替えを素早くというのを意識していました。ボールを獲られた後にすぐ獲り返そうということを、練習から意識してやっていたのは覚えています。そこに自分がフィットしたこともそうですし、周りの選手との連携が良かったこともそう。運にも恵まれたとは思いますが、その中で点を獲ることも出来て、チームとしてもうまくいっていたいい半年間だったと思います」 

今と同じで、無理矢理ボールを集めるようなことはなかった。「ボールをもらうようにはしていたんですけど、特に自分のところに集まって、とかはなかったです」と、長倉。味方からボールを引き出し、あるいはPKを蹴って得点を重ねていった。PKと言えば先日、6月28日のJ1第22節横浜FC戦で森重真人にPKのキッカーを譲ったことが話題になったが、予定通りであれば指名された長倉が蹴っているはずだったことからもわかるように、じつはPKが得意。昨年ルヴァンカップ決勝のPK戦での失敗はあったものの、今年に入って7月16日の天皇杯3回戦・大分トリニータ戦で先制点となるPKを決めるなど自信はある。そのPKキッカーとしての始まりが、まさにこのユナイテッドに所属していた期間だった。

「PKを蹴ること自体は関東リーグが初めてではなかったのですが、自分が獲得していないPKを蹴ったのは、そこが初めてだと思います。あの時も(東京のように)2トップという感じでした。自分がフォワードもやりながら……今とあまり変わっていないと思いますね、プレースタイルは。そのなかで、チームとしてどうやるかということを考えてやっていました」

モダンなフットボールを志向する当時のユナイテッド・黄大俊(ファン テジュン)監督(現ヘッドコーチ)のもと、トランジションを強調した戦い方に長倉が嵌まった。個人としては9試合8得点、チームとしては前期終了時点でリーグ首位。この活躍が認められ、JFLもJ3もスキップし、わずか半年でJ2の世界へと旅立つことになった。結果的にシーズン終了後も8得点以上を挙げる選手が出現せず、長倉はチームメイトの新関と共に、2022シーズンの関東1部得点王となった。驚異的なペースだった。

長倉のゴールを喜ぶ東京ユナイテッド。

「上を目指そうという選手が多かったので、そういう選手たちと出来たというのは、モチベーションの意味で本当によかったと思います。みんなで上を目指そうと、JFLを目指している雰囲気がよかったな、と。勝ちもそれについてきていたという印象がありますね。関東リーグなので、みんな仕事しながらサッカーをやっているんですけど、悔しがる気持ちは普通以上にあったので、そういう雰囲気がよかったと思います」

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